7月のある日、
「あ〜、全然アンティーク家具の納品
間に合わねえじゃん」
と言いながらカレンダーを眺めている
僕を見かねて、
今ではグループの様々なスペースの
設計施工などを担ってくれている
INSTYLE GROUP:PROBITY の社長が
 
「8月半ばの引越しまでには
執務室側はだいたい間に合わせますし、
9月半ばにはアンティークも含めて
全体的にほぼ家具が揃って、
撮影もできますから」
 
と説得するように言うので、
 
「じゃあ、
まずは8月半ばに引越しをして、
Housewarmingは9月の最終金曜日に
しようかな。みんなと軽く飲めたら嬉しいし」
 
と、そんなふうに気軽に決めた
9月29日でした。
 
その後なんとなく脳裏に
この日付のことが引っ掛かっていて、
ある時ふと自社のHPを見ていて
気がついたのですが、
この日は15年前にINSTYLEが
産声を上げた日でした。
早いもので人間だったら、
盗んだバイクで走り出す歳です。
 
そこまでしても、
自由になれた「気がする」だけの年月ですが、
人間だったら一人では何もできない
存在だったものが、生意気に
「学校や家には帰りたくない」とか
言い出すくらいの歳月ではあります。
 
盗んだバイクで走り出す代わりに
逃げ込んだこのオフィスも、箱・ハードだけ
「仕上がった」とお披露目しても、
中身・ソフトが伴わないと
意味がないのは、当然わかっていたので、
今日も僕は社員に向かって、口うるさく
「椅子をそろえろ」と言い続けながら、
自らもオープンスペースの
ジャンヌレを整頓します。
 
自由でありたいと思いながら、
支配やルールを嫌っていた僕が将来、
椅子を揃えろ、なんていう細かいルールで
人を注意監督する側に回るとは、
それこそ15歳の時には
思ってもみなかった事で、
自身で勝手に隔世の感があります。
 
ですが、
店の格と雰囲気は顧客が作るように、
会社の格と雰囲気は結局、社長ではなく、
社員が作るものだと思うのです。
店の格を貶めるようなお客に
毅然とした態度が取れるかに、店の格、
店主の格がかかっているように、
社格を貶めるような社員の行動に、
覚悟を持って毅然とNOを出せるかが、
弊社の社格を決めるのでしょう。
 
自由で美しく、クリエイティブである
ためにあるルールは、
デザインでいう黄金比のように世界に
存在し得るのだと、僕が嫌ったのは
形骸化した、美しくない、
ただ管理や支配の効率化の為のルール
だったのだと、今更になって気づきます。
 
そんな事を思いながら、
先日、椅子を揃えるも何もない、
伽藍とした空間に向かって改めて
「ありがとう」とお礼を言って、
5年を過ごした赤坂オフィスを
引き渡してきました。
 
5年前の夏、
「秩序あるカオス」と
「カフェに行くように仕事をする」
を標榜して赤坂に作ったオフィスは、
僕らしいオープンなデザインも相まって、
沢山の素敵な出会いをプレゼントしてくれました。
 
隣のホテルのラウンジだと
勘違いした人がふらっと入り込めた、
あの空間はあの空間で、僕らしくて
とても気に入っていたのですが、
あのオフィスにできる一定の役目は
終えてくれたことを感じたので、
この度、新しいオフィスに、
新しいコンセプトと共に引越しをしました。
 
新しいオフィスは、
「カフェに行くように仕事をする」から、
「美術館に行くように仕事をする」
ようなオフィスになりました。
 
それは、
カフェに行くよりも、もう少し、
緊張感を伴うもので、
カフェに行くよりも、もう少し、
敷居の高いもので、
カフェに行くよりも、もう少し、
能動的に意識や時間を使わなければならず、
カフェに行くよりも、もう少し、
公共性の高いものである必要がありました。
 
谷尻誠さんのデザインによって、
ピエール・ジャンヌレのアンティーク家具が
「歴史」と「静」と
「ドレス」と「エリート」を、
山口歴さんの現代アートが
「未来」と「動」と
「カジュアル」と「ストリート」を司る、
コントラストとコントラディクションの
ある、アンティークと現代アートが
高層ビルの最上階で共存する、温故知新を
感じながら一筋縄ではいかない、
トラディショナルやオーセンティック、
ベーシックを軽視しないけれど、
それだけでは終わらない、そんな
僕らしい空間ができたのではと思っています。
 
数年前に、あるメディアの方に
言っていただいて、嬉しかった言葉があります。
 
「あなたはただのストリートキッズではなく、
かといって、ただのエリートでもない。
ストリートエリートですね」
 
という言葉です。
(おそらくは最近言われている
ストリートスマート的な文脈で言って頂いた
かと思います)
 
ただカジュアルではない、
ただドレスではない、
ただストリートではない、
ただエリートではない、
ただカフェではなく、
ただ美術館ではない、
かといってもちろん、
ただオフィスではないこの空間は、
キャリアの中で重なる部分はあれど、
約10年を飲食人として、
約 10年をコンサルタントとして、
約 10年を事業家・グループトップとして
過ごしてきた僕が、
次の10年はアートの文脈を生きようと
思っていることを、
代弁してくれているような空間です。
 
この手紙のタイトルがアメリカの画家、
ジェームズ・ホイッスラーの
言葉であることも、
約30年の起業家人生で初めて、ビジョン
(ミッション・ビジョン・バリュー)
を制定し、ビジョンを持って
経営することを標榜した僕が、
今後アートの文脈で経営を続ける事、
アートを生きることへの意思表示です。
 
アートは問題提起、デザインは問題解決、
という言葉がありますが、
20年近くコンサルタント、事業家として
問題解決を生業にしてきた自分が、
今更、問題提起に向かうところが、
自分らしくひねくれて気に入っています。
 
弊社は
ゴーイング・コンサーンを目指さず、
ミッションコンプリートと共に清々しく死ぬ。
と言い切って、起業家、事業家として
30年近くが経ってやっと制定したビジョンが、
「ハッピーエンド」だった僕にとって、
そんなわけで、このオフィスからが
第二部、第二章、第二幕で、
アート編で、終幕です。
 
世界には今更、僕程度が提起する
必要のないほどに問題は溢れていて、
その大半は解決の糸口さえ
見つからずにいますが、
だからこそ逆に、何かイノベーティブな、
パラダイムシフトのような、
新しいアプローチがあるのではないか?
と、どこか懐疑的にならざるを得ません。
 
その違和感に対する、正しい問題提起、
課題設定が、アートの力によってなされた時、
案外気軽に氷解する問題が
あるのではないかと思っているからこそ、
僕は不惑とされる歳を迎えてから突然、
アート文脈を生きると言い出したのだと思います。
 
人類の歴史は
この星の歴史を1日24時間とすると、
ほんの一瞬、文字通りまばたきのような
ものだと言われます。
今度はその人類の歴史を
1日24時間としてみたとして、
やはり我々の一生は、まばたきにすら
ならないものだと言われます。
不惑とされるまで重ねた年月も、
その観点からすれば、おそらく
微差ですらありませんから、
不惑を迎えてから始めようが、
物心つく前に始めようが、
大差ないものだと、どこか開き直っているのです。
 
そんなほんの一瞬の中の一瞬、
刹那の中の刹那に、
偶然すれ違い、少し重なり、また別れてを
明日からも私達は繰り返します。
その中で一人、また一人と、
仲間を増やしていけるといいなと思います。
 
そんな刹那の奇跡を共にする親友が、
今回もカヌレを焼いて花を添えてくれました。
 
「私たちがカヌレを焼く理由はひとつ、
とても困難なものだからです。」
 
そうなふうに言いながら。
彼の店には、居住まいを自然と正される、
美しい哲学が流れています。
店主と、内外装と、料理と、
接客だけではなく、顧客自身もまた、
その店の格を維持するために
努力をしなければならないのだと、
自然とそう感じさせてくれます。
 
彼が店の格を維持するように、
僕も社格を高める為に、
できることをしたいと思います。
例えば椅子を揃えるような、凡事徹底から。
 
それでも、
椅子を揃えるという行動一つとっても、
負の側面もあれば、心のどこかで、
それすら嬉しい自分がいます。
この会社にも
社員が一人だけだった時もあるので、
子供部屋が散らかっているのを見て、
「片付けなさい!」と叱りつけながら、
歳を重ねてから子供を授かったから、
こんな説教も子供がいてこそだと
わかっていて、ついつい、
そこも愛しいと思えてしまっている
親のような心境で、
椅子が散らかるくらいの規模になったか、
と一人心地してしまう自分がいるのです。
 
走り続けてきました。
泣く暇もないくらいには。
何度かやめようと思ったこともあります。
経済的な理由でのそれではなく、
いつも、
「伝わらないこと、分かり合えないこと、
すれ違うこと」でやめたくなりました。
 
そしてその都度、
「確かに伝わったと思えたこと、
分かり合えたと思えたこと、
待ち合わせができたこと」
を感じさせてくれる人達に救われて、
続けてこれました。
 
そうしたことを繰り返すごとに
少しずつ仲間が増える、そんな日々でした。
 
どこまで行っても、
仲間が増えた事は喜べますが、
金銭の多寡が心の琴線に触れることは
ありませんでした。
だからきっと、僕は本質的には、
起業家や事業家には向かないのだと思います。
 
経済的な理由でやめたくなることは
ないし、人から逆算して事業を作るせいで、
事業から逆算して人を雇えないせいで、
多くの人に迷惑をかけるし、
それをわかっていてもやめられないし、
金銭の多寡を軽視し過ぎる
嫌いがあるからです。
 
起業家や事業家が、
金銭の多寡を重視するべきものだと
言いたいのではなく、
軽視し過ぎるものは本来それに
向かないのではないかと思っているのです。
 
そして、どこまで行っても僕は、
それらを軽視し過ぎる生き物なので、
そんな生き物が
コンサルタントや事業家を名乗れば、
理解されないのは当然の帰結で、
本来傷ついたり、拗ねたりするような
ことではないのでしょう。
 
そんなことも相まって先日、
僕はビジョンの制定とともに、
グループから「肩書き」を無くしました。
僕の名刺に肩書きがなくなったのは、
そんな理由からです。
 
2008年の9月29日、
コンサルティング先だった、
芸能事務所の秘書が
「私は西村さんに付いていくって決めたので」
と言って付いてきてくれました。
その笑顔と素晴らしい人格と仕事ぶりから、
彼女を幸せにしたいな、と思うところから、
この会社が始まりました。
 
それからしばらくして、
また別のコンサルティング先だった、
アパレル通販企業の社員と出会いました。
正しくて責任感のある、仲間を大事にする
いい子だったのに、僕の契約終了と共に、
不遇を受けるようになった彼女は、
その会社を辞めて、別の会社を一社経て、
当時以上の正しさと責任感で、
仲間を大事にしながら、
今も僕を支えてくれています。
当時の同僚達が今でも彼女とグループの
イベントに来てくれていることが
その証左だと思っています。
 
INSTYLE GROUP:EDGE STYLE
鮨 とみ田 の大将の当時のお店には、
芸能事務所の秘書だった彼女と初めて
伺ったし、そんなふうに
アパレル通販企業の社員達と
よくお邪魔していました。
「一緒に高め合っていけるかなと思って」
グループインしてくれたと言ってくれて、
その後もたくさんの友人や社員を大切に
もてなしてくれている大将とは、
そうやって出会いました。
 
そのまた少し後には、
何回目かの飲食ビジネスをするにあたり、
僕が15歳の時から一緒だった親友が
再合流してくれました。
今では再々合流をして、
飲食時代以上に僕を信じて、
INSTYLE GROUP:FINEST の社長を
務めながら、
僕を支えてくれている彼とは、
高校で出会ってから変わらぬ仲でいます。
「俺は君に褒められるためだけに
働いてんだからもっと褒めろ!」
と怒られた20年前の反省を生かして、
もう少し褒めないといけないなと思っています。
 
この時の飲食店を作る際に
PROBITY の社長とも出会いました。
10年以上経って、売上が当時の50倍以上に
なった今でも、出会った時以上に、
真面目に誠実に現場に向かう彼のおかげで、
今回のオフィスも素晴らしいものになりました。
 
その飲食店でアルバイトを
してくれていた学生は、
10年近い友人付き合いの末に、
今では、芸能事務所の秘書だった彼女の
部下になって、一緒に僕を支えてくれています。
 
友人の紹介で運転手を雇ってみたのが
前述の飲食店を開けた後くらいです。
でも、そもそも僕は
あんまり車で移動しないし、
タクシーくらい自分で乗れるので、
コンサルティング先だった、不動産会社に
出向させてみたりしました。
だって、「3年で一人前の社長にしてやる」
とうそぶいてしまったので。
今では立派な
INSTYLE GROUP: VERITEの社長で、
不動産を通じて顧客を幸せにしながら
売上と利益を確保しているのに、
「ヒデさんが明日石油を掘りに行くって
言ったら俺はスコップ買ってすぐに
ついて行く」と言ってくれている彼とは、
そんな風に出会いました。
 
その出向先、
コンサルティング先で出会った社員達も、
当時、前述のアパレル企業の社員のように
不遇を受けることが目に見えて
増えてきていました。
十分こちらは助かっているし、
仕事はできているのに、
権利を主張するのではなく、
「義務を果たせていない気がする」ことで
涙しながら同じようなタイミングで
退職を検討してしまうような彼女達とも、
そこで出会いました。
彼女達には広報やEC運営、
僕のプロジェクト運営のサポートを
してくれることで、今も助けられています。
 
同じ会社で新卒から半年で
同じような不遇の憂き目にあったのが、
僕の二代目運転手です。
相変わらず僕の運転手の仕事なんて普段は
ないので、CS業務でチームに貢献
してくれていますが、
新卒の途中から入社して月日が経ち、
いざという時に、僕が気軽に
適当に甘えられるいい男に育ちました。
僕が彼に
「ちょっと送ってってくれよ、
ちょっとこれやっといてくれよ」
と甘えられるのは、彼がきちんと、
僕が甘えたことで滞ったであろうCS業務を、
チームの仲間達にフォローしてもらえる
関係を作れていること、きちんとその分、
取り返す、辻褄を合わせるためにしっかり
その前後でやってくれるはずと
思っているからです。
 
CSといえば、
そのきっかけとなったのは、やはり
コンサルティング先のMVNOの会社です。
当時その会社を辞めようとしていた
彼を引き留めるように自社のプロジェクトに
招聘して、仕事のイロハを
叩き込んでから10年が経ち、
すっかりグループの顧客対応については
任せられるようになりました。
今ではグループの様々なCS業務を
一手に引き受けてくれているだけでなく、
人事についても幅広く理解し
僕を助けてくれる、
INSTYLE GROUP:R.S.V.Pの社長とは
そうして出会いました。
 
このきっかけのMVNO会社の社長とも、
その少し前に出会ってからもう10年以上、
投資とコンサルティングを続けています。
何年か前の彼の言葉が、
「移動中以外に寝たい」でした。
彼が成功するまで
支えることを決めているので、
彼の努力が近い将来に結実して、その果実を
MVNOのチーム含めたみんなで
味わえる日を楽しみにしています。
 
そんなふうにMVNO会社が
コンサルティングクライアントに増えた
ので、エンジニアを探す必要が出たので、
義弟に友人を紹介してもらったのも、
そのくらいの時期です。
義弟に向かって、
「そんな奴(僕のことです)いるわけ
ないから、俺が化けの皮剥いでやる!」
と息巻いてやってきて、数日後に入社して、
今ではグループのCTOとして
技術系をまとめるのみならず、
その知識とロジカルシンキングと責任感で
グループの様々な事業をドライブさせている、
INSTYLE GROUP:
Nombres Premier の社長で、
「ヒデさんのことを人に話しても
信用してもらえないから困っちゃう」
と自分のことを棚に上げるのが上手い
ナイスガイな彼とはそんな出会いでした。
 
それからしばらく経って、
不動産情報を見ていたら、
「ああ、
昔の俺みたいな失敗の仕方してるな」
と思う情報があったので、
年の瀬にその運営者と打ち合わせをして、
その後グループインした会社が、
INSTYLE GROUP: Bounty of Life です。
最初は落ち込んでいたものの、
持ち前の明るさと努力で店を運営する
社長の彼には、オフィスのすぐ近くの
サブスクリプションレストランに
生まれ変わった、当時の
レストランバーをはじめとして、様々な
飲食店を任せられるようになりました。
 
そこからも
似たような繋がりが増え続けました。
アパレル企業を運営しながら、
僕の思い描いたことを実務家として
全て実直に、思い描いた以上に
実現してくれている、
INSTYLE GROUP:DIET BUTCHER の
現社長とも、この後に出会っています。
今ではグループのクリエイティブ
ワークを統括してくれている、
INSTYLE GROUP:
Less. TOKYO Creative 社長の彼も、
紆余曲折あったブランドを実直に
立て直してくれつつある、
INSTYLE GROUP:
INSTYLE APPAREL 社長の彼も、
日本のアパレルの次世代を背負う、
INSTYLE GROUP:
BIRTHLY BED j.w. FORD 社長の彼も、
みんな彼の紹介で出会いました。
僕を信じて、グループの未来を
信じてくれているからこそ、
大切な人を繋いでくれているのだと思います。
 
例えば
そんなふうにして繋がっていった先に、
日本で初めて、AIR RACEと
X GAMESを開催した、
INSTYLE GROUP:AIR RACE JAPAN
INSTYLE GROUP:XGJ の
社長、副社長とそのチームがいることで、
この2つの大きなイベントが
日本とグループに存在することになり、
その繋がりで今オフィスに大会当日に
ライブペインティングしてもらった、
山口歴さんのアートが掛かっています。
12月の日本初開催となるWORLD SKATE も、
このチームのもう一つの見せ場です。
 
そんなふうにチームを応援していたら、
INSTYLE GROUP:AWAI の社長を
紹介されて、グループに
ウェルネスブランドが増えました。
いつも物作りや仕事に誠実に愛を持って
接する、彼女が生み出すものが、
これからさらに必要とされる世界に
なると思っています。
それだけでなく、
彼女に助けてもらったことでできたブランド、
商品も今後多くリリースを控えているので、
僕はそれを楽しみにしているのです。
 
楽しみといえば、
ひょんなことから友人である、
INSTYLE GROUP: Global Networks
の社長に紹介されて、コンサルティング
するところから始まって、
いまではグループの一社になった
INSTYLE GROUP:
Mebius Pharmaceutical
のメンバー達がいます。
前経営の微妙な一言を笑い飛ばした
ところから仲良くなった彼女も、
ちっとも楽しそうじゃないのに
楽しいという単語で前経営に
挨拶を強要されていて、
それを廃止してからは笑顔で
挨拶をしてくれるようになった彼女も、
前経営者時代には
社員化しなかった彼も、彼女も、
他の全てのスタッフも、
艱難辛苦を乗り越えて、
今は同じ船に乗っています。
彼ら彼女らの成長、達成、獲得を
楽しみにしています。
 
そして楽しみ、同じ船、といえば最後に、
オフィスの1階にも、
グループの飲食店があります。
「六本木に、
こんなあったかい場所があったんですね」
そんなふうにお客様に
言ってもらえる空間を作っている、
INSTYLE GROUP: KANCH
おふぃすごはん きぬ川の姉妹とは、
親友の紹介で出会いました。
僕を含めて、社員一同の
日々の良質な昼食は彼女たちの手によって
支えられています。
僕が毎日会社に行くようになったのは、
バラバラだった会社がひとつ所に
まとまったから効率的になった、
という理由と、
昼食はウーバーイーツで済ませていた
僕をみかねて、彼女達が問答無用で
置いておいてくれる弁当が楽しみだからです。
 
こんなふうに始まった物語です。
こんなふうに続いてきた物語です。
 
これからどんなふうに終わるのか、
これからもこの物語を続けることが、
僕とこの会社に許されるとして、
あとどれだけの仲間と出会えるのか
あとどれだけの時間を
過ごせるのかはわかりませんが、
この物語が、
前述の登場人物たちと過ごす、
美しいグランドホテル形式だったのか、
ただの寄せ集めや、つぎはぎ、
散文だったのかは、
エンディングの出来が物を言うのでしょう。
 

爽やかな読後感を残せる一編の物語に
なれるよう、ステークホルダー全ての
「ハッピーエンド」に向けて、
労働ではなく、
ビジョンの実現による報酬を得られるよう、
明日も登場人物一同で、ベストを尽くします。
 
日頃のご愛顧とご来社への感謝を込めて。
 
INSTYLE GROUP
西村 豪庸