歴史は虹のようなもの

虹が見れない日本人。

 

 

「歴史は虹のようなものだ」・・・イギリスの学者、オーエン・バーフィールド氏がこのように述べています。上智大学名誉教授の渡部昇一氏はこのバーフィールド氏の比喩を次のように解説しています。

「彼は『歴史的事実』と『国史』すなわち一国の共同表象になる歴史を区別した。歴史的事実は中央、地方、対外の出来事などなど無数にある。しかしそこに虹を見ようとするなれば、特定の視点と距離が必要である。雨が上がったからといってどっちを向いても虹が見えるものではない。視線の方向が重要である。また虹をもっとよく見ようとして近づけばよりよく見えるものでもない。虹にあまり近づくと虹は消えてしまう。つまり国史というのは無数の水滴の中に虹を見ようとする行為に似ていて、無数の歴史的事実の中に、その国民の共通認識となるような虹を見ようとする行為というべきものなのである」

無数の歴史的事実の中には良いこと悪いこと、光もあれば影もある、様々ありますが、それらを一定の距離、方向から見れば虹が見えるというものです。これは大切なことでしょう。日本人は無数の歴史的事実の中から日本人の心に「負」となるような面ばかり見せられ、プロパガンダを本当のことのように教えられて、そして「虹」を見せないように統制されてきました。戦前は全部真っ暗とでもいうように教えられてきました。「ジパノフォビア」という自信喪失、自己嫌悪、自虐を好み、寂しく自国を嘲笑する日本国民になってしまっています。かつてのスペイン大帝国が没落したのはこの自虐史観に因るものでした。

イギリスも自虐史に悩んでいました。イギリスの教科書では「大英帝国ほど世界で悪い国はない」と書かれ、大英帝国は貪欲なブタのイラストで描かれていました。イギリスの植民地にはドクロが描かれ「植民地支配によってたくさんの人殺しをした国だ。そこにあなたたちは生まれたのだ」と教えていたのです。
イギリスではこの自虐史を乗り越えるため、サッチャー首相による教育改革が行われ、「歴史には光と影がある。事実をバランスよく、発達段階に応じて教えるべきだ」と語り、改革を断行しました。これは「虹」を見せようというものでしょう。なお、この改革は決して楽に進めれたことでなく、当時のイギリスの文部大臣は「とにかく戦いでした。私の人形が作られ燃やされました」と語っています。

日本でもこうした教育改革は安倍政権のときからサッチャー教育改革をモデルにした改革が始まりましたが、政権交代によって日教組が台頭し、大きく後退しつつあります。無駄を省く「仕分け」を隠れ蓑に教育に必要な予算が削られていったのは知る人ぞ知るです。イギリスではブレア首相になってからも「イギリスで必要な政策は三つある、教育、教育、そして教育だ」と叫ばれ改革を続けました。国民がサッチャー教育再生を支持していたからです。しかし、日本では安倍政権の教育再生を国民の8割が賛成しているにも関わらず、政権交代後にそれができないのは日本の病巣の深刻さがわかるというものです。

「虹」が見れない日本人。そして今でも「菅談話」や官房長官の「日本が中国に迷惑をかけた」発言というような自虐史観を与え続けられています。寂しく自国を嘲笑し、日本人であることを恥ずかしく思い、先人に感謝もできない日本人。このままでは日本はスペイン大帝国と同じように没落していくでしょう。

 

 

参考文献
歴史通2010.3「歴史は虹のようなものだ」渡部昇一
「日本よ、永遠なれ」山谷えり子著