グーグルの社是と「10の事実」~空気のようにオフィスに宿る経営理念

能力を発揮する職場のための理念とは

 

20歳代から30歳代のビジネスパーソンに「あなたはどの会社に転職したいですか」という質問をしたところ、「グーグル」だと回答した人が昨年に引き続き一位だったことが、転職サービス「DODA(デューダ)」の調査でわかった。事業の先進性、スピード感に対する好感度もさりながら、支持が高かったのは社員の能力を最大限発揮させるための職場への配慮・待遇であった。

 

自由で明るく、思う存分仕事ができるイメージ。それはだれもが望むところだろう。それがまた新卒社員に限らず、中途採用者にも開かれたイメージとして受け止められ、また実際に社員の期待に応えているのがグーグルである。

 

こうした、自由が保証されつつ、新旧の別なく社員が生き生きと働ける職場とは、容易につくれるものではない。まして日本企業の常識的な考え方では、新入社員には何より、理念教育を課し、理念への理解が社員に暗記され、一通りの理解がなされなければ、正社員とは見なされないといった向きも多いのではないだろうか。

 

注目されるのは、グーグルの場合、そうした自由で奔放な社風や文化をつくっているのは、これもまたグーグルならではのユニークな経営理念である、ということだ。グーグルの経営理念は社員の頭の上からのしかかってくるものではない。努力して文章を頭に覚えこませた存在ではなく、日常の仕事の中でいつも社員のとなりにあるものだという。この稿では、グーグルにおける経営理念の存在意義を現場のエンジニアの声を通してレポートしてみたい。

 

現場のエンジニアが語る社是と「10の事実」

 

グーグルの経営理念は社是(mission statement)と「グーグル10の事実」に表わされている。社是は「グーグルの使命は、世界中の情報を整理し、世界中の人々がアクセスできて使えるようにすることです。”To organize the world’s information and make it universally accessible and useful”(同社HP)とあるのみである。検索エンジンが登場して以来、さまざまなことが変わってきたが、グーグルは常にユーザーの利益を第一にしている、そしてインターネットの世界にはまだまだ可能性があるという、同社の明快な信念を表現している。

そしてユニークだと言われているのが、「10の事実(Ten things Google has found to be true)」である。経営理念において”事実”というのは日本の会社の経営理念には、まず見かけない表現といえよう。経営理念にありがちな重い表現ではなく、「べき」こととするようなものでもなく、「ありたい」といった願望でもない。ただ”事実”なのである。

 

その内容は次のとおりだ。

1 ユーザーに焦点を絞れば、他のものはみな後からついてくる。
(Focus on the user and all else will follow.)

 

2 一つのことをとことん極めてうまくやるのが一番。
(It’s best to do one thing really, really well.)

 

3 遅いより速いほうがいい。
(Fast is better than slow.)

 

4 ウェブでも民主主義は機能する。
(Democracy on the web works.)

 

5 情報を探したくなるのはパソコンの前にいるときだけではない。
(You don’t need to be at your desk to need an answer.)

 

6 悪事を働かなくてもお金は稼げる。
(You can make money without doing evil.)

 

7 世の中にはまだまだ情報があふれている。
(There’s always more information out there.)

 

8 情報のニーズはすべての国境を越える。
(The need for information crosses all borders.)

 

9 スーツがなくても真剣に仕事はできる。
(You can be serious without a suit.)

 

10「すばらしい」では足りない。
(Great just isn’t good enough.)

 

こう眺めてみると、ここで掲げられている”事実”は、それぞれ不思議な説得力がある。グーグルのHPにはそれぞれの項目について説明が書き添えられているが、これらの文章がだれによって、どういう経緯で成立したかということについての表記はない。ただ、「すべての活動の指針となる根本的な原則です」とあり、「最初に作成されたのは数年前ですが、その後も継続してリストの内容を更新しています」と将来の変更の可能性を示唆するのみである。

今回、編集部ではグーグルにおける経営理念のあり方について、責任者への取材を依頼した。すると、広報部の返答は、トップダウンではない企業なので、ミッションや企業文化について語るのにふさわしいのは一般社員だという見解をいただいた。役職者はいるが彼らが語ることも一般社員と同じだとのこと。そこで、グーグル広報部の河野あや子氏と若手エンジニア末松宏一氏に話を伺った。

 

 

PHP松下幸之助塾編集部

空気のようにオフィスに宿る経営理念

 

まずは経営理念の日常感覚をお話しいただいた。

 

―経営理念のうちでも、まずミッション・ステートメント「世界中の情報を整理し、世界中の人々がアクセスできて使えるようにすること」についてどのように日常受け止められているのですか。

 

末松:新しいプロジェクトを始めようというときに、社是が一個の軸になるという感覚があります。ただ、それがすべてではありません。私たちが開発をしている延長上には実際にユーザーさんがいっぱいいらっしゃる。そのユーザーさんが便利になるようにするにはどうしたらいいかというほうが、もっと大きな軸になっていると思います。社是は一個の会社が持っている軸にすぎません。社是以前にユーザーさんのほうを見て、自然にミッション・ステートメントを共有しているという感覚です。

 

―「10の事実」とは、相当に意識している理念なのでしょうか。

 

末松:「10の事実」についても、社内でがんばって積極的に浸透させようという努力をしているわけではありません。仕事をしている中で自然に学んでいる感じですね。なかでも、「悪事を働かなくてもお金は稼げる。」は〝Don’t be evil.”などと社内でよく使われます。それと「遅いより速いほうがいい。」”Fast is better than slow.”というのはよく言われます。

 

―通常の経営理念の表現とは違って、「10の事実」は、あまり”上から目線”という感じがしませんね。

 

末松:推測ですけれども、私どもの創業者ラリー・ペイジやサーゲイ・ブリンがまだエンジニアとしての気持ちを強く持っているというのが影響しているからではないでしょうか。自分も開発するんだという意識が結構強いから、押しつけの形ではないのかもしれないと思っています。

 

―理念というのは会社の中でも先輩から後輩へと伝えられるものと思いますが、グーグルではそうした文化がありますか。

 

末松: 先輩からアドバイスされる中で、この理念の言葉自体を直接言われなくても、意識させられることが多いです。

 

河野: 「10の事実」でも「五番目は何?」と訊かれたら、社員でも全然分からないと思います。実際「10の事実」を丸暗記している人は少ないかもしれません。ただ、働いていく中で自然にそれが身についてくるし、立ち返るところなのです。基本的にフラットな環境なので、先輩や上司がというよりも、その場にいる誰かが、自然に、「それってなんかちょっとevilになっちゃうんじゃない?」と出てくる感じです。